この日をずっと、忘れない。

2011年3月11日。
14:46分。
経験したことのない揺れが、家を前後にガッタンガッタン・・・・と揺らし続けた。
まだ幼稚園児だったキュリ王は、美味しいパンを食べていた。揺れているというのに肌身離さず食べ続け、揺れが落ち着いた後、パンを持ったままで良いから・・・となだめて、何とか外に連れ出した。
ご近所さんと情報交換をしていると、あれだけの揺れにも関わらず、震源地は自分たちの住む場所から遠く離れた東北地方だということが分かり、「まさか。。」と驚きを隠せなかった。
震源地からこれだけ離れていても、かつて経験したことのない揺れに動揺している位なのだ。東北地方は、一体どうなってしまっているのか。。
その後、知ることになる未曾有の大災害は、目を疑うという言葉では到底言い表すことなどできないもので、被害にあわれた方のことを思うと、胸がギュッと締め付けられる。
普通の幸せな日常を過ごしていたはずなのに、それが一瞬にして奪われてしまったのだ。まだまだ生きる事ができたであろう大切な大切な命が、たくさん奪われた。
この日を、決して忘れてはならない。。
そして、語り継がなくてはならない。
見上げた空の先にある「意」を「宣る」日々であるように
毎年3月11日に、祈ることはとても大切なことだと思う。
しかし、それ以上に、日々の生活そのものを「祈り」とする事ができたなら、地上に生かされたものとして、少しは使命を果たせていると感じる事ができるのかもしれない。
自分は、ちゃんと出来ているだろうか。
一足先に「空の上に帰る」ことになった方々。
皆さんから見た地上は「また来たい✨」と思える場所になっていますか。
地上に残して来ることになった大切な方々を「今の地上なら、安心して任せられる🍀」と感じてもらえる場所になっていますか。
ちっぽけな自分にできることなど、あまりないのかもしれない。
だからこそ、自分にできることはどんなに些細なことでも、心を込めてやろう。
想像力を持って、寄り添える者である様に。
祈ろう。。
「日々の暮らしそのもの」が「祈り」となるように。
空の上に住む方々の「意」が「宣る」ように。
私たちは、空で「隔てられて」いるのではなく、同じ空で「繋がって」いるのだから。